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日本・中国・西洋から探究した技芸の要

調和への技法で訓練された精神と、世界の変化との、差異をとらえる。
様々な物事の未知の相互関係や発展性を見い出すため、自らを柔弱におく。
目指す物事が達成されると無条件に信じ、可能の根拠を積み上げていく。

もうすこし詳しい説明はこちら
http://glasperlenspiel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-26

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真実への探究と、勇気。 [私のツイッターでのツイートから] [メインブログより]

以下、私のツイッターでのツイートからの一部転載です。

22歳の時に用いていたドイツ語のテキストで、
相対性理論の説明の要約が学習材料としてあった。

宇宙を球で例えると、
どの座標も球の表面であると同時に球の中心である、
という発想が思い浮かんだ。

それで、アインシュタインは、
宇宙が膨張・収縮することは無いと言っていたのかな、と、
その時思った。

また、アインシュタインは、
量子物理学で実在するものが確率で求められることについて、
「神はサイコロを振らない」と述べた。

これらを、後にアインシュタインは、訂正している。

相対性理論は、ユークリッド幾何学を用いた物理学に対し、
リーマン幾何学を用いて物理学を拡張した。

一方、
量子力学はある実在が確率で求められるとするけど、
それは、存在しうるものは一定の分布で存在しえて、
ある座標での実在は確率で求められること、
と私は理解している。

他方、
私が中学生のころ観たカール・セーガンの「コスモス」という科学番組を、
数年前図書館で借りて観たのだけど、そのなかのエピソードの一つに、
宇宙の天体の観測データを総合して座標に表すと、例えると、
複数の皿を色々と配置した上に天体が並んでいるという画像を用いた
話しがあった。

私はその時、アインシュタインは間違っていたのではなく、
後の科学者に補足されるべきものを自分が述べられなかったことについて、
自らに落ち度があったと錯覚したのかな、と思った。

以前、「栄光なき天才たち」という漫画があって、
そのなかで、電話の発明の話しとして、
グラハム・ベル、トーマス・エジソン、エリッシャー・グレイが登場した
話しがある。

エリッシャー・グレイの弟子がグレイ氏に
真実の探求に必要なものは何かとたずねると、
グレイ氏は「見せてあげよう」と、

自らの震える両手を弟子に見せて、こう言った。

「勇気だよ」。


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兆・水・果が、日本・中国・欧米にあったことについて、簡潔に説明。 [メインブログより]

以下は技芸における説明です。

技芸には様々な側面がありますが、
健常であればどの人も生まれ持つ素質について、
一つには、
外的な訓練により内的世界を発展させるとともに、
外的な物事に、内的な見解を確認する過程、
と言うことができます。

兆(きざし・ちょう)は、日本の技芸に特徴的で、
人間が本来持っている合目的性の能力により、
精神において様々に連結された物事が、
予見的に拡大されたり、経験的に縮小されるなどして、
その拡大や縮小に応じた何らかの“印”を、
現象世界に見い出した時に感じられるものです。

水(みず・すい)は、中国の技芸に特徴的で、
合目的性ないし調和において見い出される世界の物事は、
補い合う関係があることや、
人の価値観を超えた思わぬ用をなすことがあることから、
強さや優位を離れ、小さな工夫、新しい試みを大切にする、
“活動の統整”方法を指し示すものです。

果(はたす・か)は、欧米の技芸に特徴的で、
まず、前提なしに、何が達成されるべきかを定め、
無条件に自分自身の可能性を信じ、
達成される根拠を見い出すことを積み重ね、
他の誰からの批判も恐れず、達成まで、ひたすら、
“自らの内からの声のみを恐れ”て活動することです。※

※特徴的な例としてシェークスピアから
 「あなた自身の内なる声のみを恐れ、従いなさい。」

これらの概念は、数百年前から、すでに存在している精神的姿勢、
あるいは活動方法を伝えるもので、文献など多数存在していますので、
誰でも自由に用いられます。

もっとも、兆・水・果、
という簡潔な表現方法は私独自の考案ではあります。

共に歩いていける人々との合言葉となればと思います。

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魔術記号 [メインブログより]

以下、私のメインブログより転載。

ガラス玉遊戯の最初の図式法が出来て以来、
ヘッセの小説のガラス玉遊戯のなかで語られていた、
図式法の発展形である「魔術記号」は、
遊戯を行なう人と鑑賞する人々の間に生まれるものと
私は考えていた。

一方、
ヘッセのもう一つのコンセプトである「世界精神」が、
インターネットの出現で潜在的にも現実化されていた。

このため、
図式法の一部を世界精神で置き換えることにより、
最初の図式法は魔術記号に変化する、
ということが分かった。

昨日の小作品と、私のHPの世界精神の説明の一部を、
順に引用する。


[昨日の小作品の引用]

タイトル:潜在領域と事象の相互作用と人の偉大さ

【要約】

目的: 反転:
可能性に関する潜在的な領域の変動分を他の事象に相互作用させること。

方法: 力:
普遍性の理解は潜在的領域への働きかけの扉を開く。

理由: 節理:
動機は自分自身の偉大さの自覚から起こる。

no1166fig4.jpg

【本文(一部)】

[]の中味はこのブログのカラムのガラス玉遊戯の図式法の
ポテンシャルを意味しています。
[]が無い部分は、ガラス玉遊戯の図式法の記述そのものです。
()の中味はガラス玉遊戯の図式法のエッセンスの名前です。

[潜在的な共振] ⇒ (機能):
神話あるいは深層意識による他の文化の変化例を示すこと。

(原理):普遍と不変 ⇒ [自己存在]

[希望] ⇒ 現象に反映することが可能な人の精神を明確にすること。
 
 
[HPから、世界精神についての引用]

私達は自らが用いる技法について多くを学ぶ。
そして経験を重ねるごとに、生きることと技法とを愛するようになる。

文学的・科学的・美的な様々な技法がこの世界に存在する。

やがて私達は、技法を通じて普遍的な理念について想うようになる。
なぜなら、技法の誠実な使用は、、
自分が生きることと世界の存在とを比較することを導くから。

インターネットを通じて、世界の人々の技法を見る時、
その人々の技法の使用が普遍的な理念につながる誠実なものであれば、
私達の時間的・空間的・記号的な距離の遠さは、
私達の技法の可能性を広げる効果を現実にする。

なぜなら、その時間的・空間的・記号的な距離の遠さは、
私達の誠実な技法の使用を通して観てきた普遍性からのメッセージとなるから。

世界精神の座標軸。

私達の扉はすでに開かれている。

(2011年12月9日)

世界精神を受け止め、世界精神に働きかけられる条件について、
私は熟考しました。

(1)その人に体系的で一貫性のある技能があること。
   (古来の日本でいう「芸」もその一つ)
(2)その人が共感能力が現われるよう心の状態を調整できること。
(3)その人が、インターネットを用いるなど、
   世界を範囲として活動できること。

これらの条件が整った時に現われる
不定形であると共に伝達媒体である作用が世界精神の座標軸。

“世界精神”はヘルマン・ヘッセが提唱した普遍的理念です。

(2011年12月12日)

リンク(非営利のサイト)
http://www.magicandbeauty.com/worldspirit.html
 
 
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ITが真に革命であった確認の事例の一つ [メインブログより]

私の調べた範囲では、だけど。

著作権は、
日本はヨーロッパの先進諸国の多くが加盟するベルヌ条約に、
アメリカはブエノスアイレス条約に加盟している。
でも、
インターネットについては二つの条約をまたいで
権利が守られることになってる。

「(C)...name...」表記を加えることで、
インターネットに公開してから20年間、
「世界の先進諸国の多くで」、
その創作者の著作権が発生する。
何語で公開しても。

少なくとも著作権に関しては、
インターネットは知的財産権の、
世界へのアプローチであるということを、
意識しておくのは、
意味のあることと思う。

IT革命後の世界で個人のソース化(大元化)が進む
という仮定においては、
情報の価値は「それがどの様な効果を持つか」より
「誰がソースか」が重要になると判断することが出来るけど、
その様に見える出来事も、そうは見えない出来事もある様に、
感じられる。

Twitterもfacebookも、
個人のソース化が時代において予感されているものと、
感じさせるけれどもね。

あらためて考えてみれば、
大量の情報を個々に集めるよりも、
情報のソースをとらえた方が良いことがわかる。
個々の情報は「停止した情報」だけど、
ソースは「成長する情報」なので。

それは、
ITが「真に革命」であったことを確認できる、
一つの事例だと思う。

少し世の中を広くとらえるようにしてみようかな。
知的財産権的な意味で。

知的財産権は、IT技術の効果で、
ソースのレバレッジ(テコ)を現すように思うよ。


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言霊信仰と仮定的世界と現実性 [メインブログより]

昨日、秋葉原のメイド喫茶へ。
店内はアニメの劇場版マクロス・Fの装飾。

劇場版マクロス・Fのポスターにもある、
「愛は祈命(いのち)」のフレーズのスイーツがあり。

utahainoti.jpg
※店で同意をとってから写真に撮ってます。

マクロス・Fに関わらず、
私はサブカルチャーの特徴は「記号的性質」にあると感じていました。

例えば、マンガ雑誌などにも、「月」や「古代神」など、
「記号」の扱いを通して、「超越的な何か」を現わす傾向が強い、
というのが私の考えです。

もう一つ。
そうした記号の扱いを通して、
日本人が普段無意識に現わす「精霊信仰」や「言霊信仰」が、
サブカルの領域で現われる傾向があるのではないか、と。

上述の「愛は祈命(いのち)」も言霊を感じさせます。

言葉の組み合わせで、有りえると感じさせるような、
仮定的世界を現出する。

和歌・俳句の時代から現代のサブカルまで、
仮定的世界に意識を泳がせた後に質感のある何かを現実にする、
そうした特質が日本人の行動にはあったのかな、
と感じることが多い私です。

と言いますか、私自身はそのように見越して、探求を続けます。
 
 
※この記事は日本人の行動の特質に関するもので、
 上述のアニメ・スイーツ・メイド喫茶を主題とする、
 あるいは何らかの契約や約束があってのものではありません。
 念のため申し上げておきます。
 
 
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IT革命後の世界と自分のなかにある価値や意味の大元を育てること [メインブログより]

インターネットで
情報に関する産業革命(IT革命)が起こった2000年以来、
たびたび意識に昇ることがある。

それは、
この第三次産業革命(IT革命)による産業・経済・文化の発展に関し、
人がこれから身につけるべき能力は
「何かの価値や意味の生じる大元」になることではないか、
ということ。

何も巨大な価値や意味の創始者になろう、という主張ではない。

例えば、
ブログブームのなかで人気のあったブロガー(ライター)には、
「家族やペットのことを記事にする人」も多かった。
家族やペットは多くの人々との共通の話題であると共に、
「その人のいるそこからしか始まらない価値や意味」が
現われるジャンルである。

「自分がいるから現われる価値や意味で、
 他の人にとっても価値や意味があること、
 あるいは他の人にとっても価値や意味になっていく物事は、
 何だろう?」

つまり、

「その人が存在することで可能になっている価値や意味の始まり」は、

第三次産業革命である情報の革命(IT革命)から人類にどのような進歩が
「あるかを未来に向かって解明していき、その発展と豊かさを確かめる、
いま目の前にある(鏡の向こうにいる自分を含め)糸口ではないか、
そのように感じるのである。

おそらく、
おおげさなことでなくても、その始まりには十分ではないか、
そのように感じられる。

「小さな始まりが自然に育つのをうながしていく」のは、
良く生きることを求める者の、一つの姿勢であるから。
 
 
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【まだ思考されていない物事に応じる過程】

人が思考しうる物事のなかには、
まだ思考されていない物事があります。

もし全てを思考し終えている存在者があるとすれば、
神のみです。

芸術も、
思考されうる未知の物事に応じる方法の一つです。

技芸は、
美または調和のモデルを用いて自らの活動を体系的に把握する、
姿勢であり、過程です。

2012年3月30日
響 西庄 庸勝

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