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日本・中国・西洋から探究した技芸の要

調和への技法で訓練された精神と、世界の変化との、差異をとらえる。
様々な物事の未知の相互関係や発展性を見い出すため、自らを柔弱におく。
目指す物事が達成されると無条件に信じ、可能の根拠を積み上げていく。

もうすこし詳しい説明はこちら
http://glasperlenspiel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-26

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自分自身を客観的に観察しコントロールする作用について [「技芸」]

人生を歩き、幸福が何であるか自ら設定し、それを手に入れるには、
自分自身を客観的に観察し、コントロールすることが必要になります。
今回、それについて、少し考えてみました。

まずは、その逆の社会現象、
つまり他人を観察しコントロールしようという意欲を特徴とする、
いじめについて考えてみます。
 
 
いじめ

多くの場合、閉鎖的な集団で、集団内部では認知されたまま、
外部には隠されて継続的に行われる。
単純な喧嘩や暴力とは区別される。
それを実行すること、誰かにやらせること、
それを傍観することによって承認することすべてがいじめと言える。
行為者、行為集団によってそれがいじめだと自覚されている場合と
自覚されていない場合あるいは合理化、正当化されている場合とがあり
後者には罪悪感がなくむしろ正しいこと、
相手のためになっていることを行っているという錯覚すらあることが特徴。

-wikipediaより引用-


何らかの圧力により、他者への優位を形成し、それを正当化する。
つまり、疑似的に支配者のように振る舞う反社会的行為、ととらえると、
私としては、ストン、と理解できます。

すると、いじめを好む人は、現実に存在する支配者、あるいは、
集団により発生する心理的現象としての支配者の力を分け与えられたい、
同時に、その責任をとることは回避していける状態を継続したい、
という状態にあることになりそうです。

一方、現在、「社会の支配者」という概念はますます古くなっています。

ですので、疑似支配者の上位の概念、あるいは状態を、探してみますと、
自分で自分を支配すること、つまり、自分で自分の人生を選択し、
その選択に責任を負い、その果実を楽しむことを人生とする、
というものがありそうです。

自分で自分を支配し、自分の運命を歩んでいくことを選ぶ人は、
増えていきそうな印象があります。
私のまわりに、そういう人が多いから、かもしれませんけれども。

社会も現象であり、肯定的な意欲は公共の利益でもありますから、
今回の視点を「作用をうながす」知的財産に展開してみたいな、
と思いました。

「作用」は技芸の特徴であり、私の技芸もその性質の内にあります。
他者の基本的人権を尊び、公共の福祉を増進する行為は、
日本国憲法ないし世界人権宣言にそった行為であると考えております。
 
 
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【まだ思考されていない物事に応じる過程】

人が思考しうる物事のなかには、
まだ思考されていない物事があります。

もし全てを思考し終えている存在者があるとすれば、
神のみです。

芸術も、
思考されうる未知の物事に応じる方法の一つです。

技芸は、
美または調和のモデルを用いて自らの活動を体系的に把握する、
姿勢であり、過程です。

2012年3月30日
響 西庄 庸勝

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