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日本・中国・西洋から探究した技芸の要

調和への技法で訓練された精神と、世界の変化との、差異をとらえる。
様々な物事の未知の相互関係や発展性を見い出すため、自らを柔弱におく。
目指す物事が達成されると無条件に信じ、可能の根拠を積み上げていく。

もうすこし詳しい説明はこちら
http://glasperlenspiel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-26

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【ガラス玉遊戯】祈る行為に可能性で応じる[作品1049] [理性の芸術]

私の主観的な想いではありましたが、ここ数日、
「世界は、どのように幸せと豊かさに向かおうとしているのか、
 向かいうるのか、手がかりがつかめない。」ということから、
悲痛な「心の痛み」に苦しんでいました。

私自身は神道の神々に祈ることがあるのですが、
それは「これからも人々の幸せに、私の良心に、
貢献する努力を続けられますように。」という風に、
祈ることにしています。
この方法ですと、仮に神がいなかったとしても、
私の祈りは、少なくとも私の姿勢を改善するのに、
役立つはずだからです。

しかし、ここ最近の私には、救い、あるいは助けが、
必要でした。
真実が存在することの「印象」が欲しかったのです。
「どのような苦難にも、いずれ実りで報われる日がくる。」
という「しるし」が欲しかったのです。

「印象」であり「しるし」でかまわなかったのです。

ガラス玉遊戯では、
愛や自由などに可能性で応じることができます。
しかしそれは、「芸術の範囲」において、です。

ガラス玉遊戯は宗教でも哲学でも無いのです。

そのなかで、ふと、気づきました。
「祈る」という「行為」についてガラス玉遊戯を展開すると、
どうなるだろう?と。

no1049-1.jpg
no1049-2.jpg

ここで、いくつかの気づきがありました。
昨日までクリスマスであったためか、
キリスト教のミサの風景が思い浮かびました。
(具体的には、一度行ったことのある、
 ベルリン教会です。)

その第一の気づきは、
「自分自身をもちいて真実が現実であると示そうとする姿勢、
 つまり祈りは、
 方法は違えども全ての宗教で可能になっている。
 つまり、祈ること自体が人に天与のもので、
 祈ることができること自体が人類の素養なのだ。」
ということでした。

その第二の気づきとしては、
祈ることが「行為」である以上、
反省的判断と人の能力とを手法の基幹とするガラス玉遊戯では、
行為に応じ、
つまり祈りに応じて可能性を描き出すのに用いることができる、
ということでした。

ここで繰り返し確認させていただきますが、
ガラス玉遊戯で「祈り」に可能性で応じたとしても、
宗教のように直接には神や真実の存在に働きかけることは、
できません。
人が人に特有の行為である「祈り」を行なう時、
何らかの可能性が「その祈りに応じて現われる」というのみです。

人は祈る生き物です。

その本能的な行動を、「可能性の顕現」で肯定し、
あるいは、
祈りそのものを「可能性をもって人生を見通す方法の一つ」とする、
その範囲のことです。

一言で言えば、「祈りには意味も現実もある」ということ、
それを、自分の人生の一つにできる、ということです。

もちろん、
理性領域の芸術であるガラス玉遊戯の範囲で、
です。
神に求めることがあれば、
神に祈るところに行くのが正しい方法です。
この記事では神道の話しが出ましたが、
神道をお勧めするということではありません。

宗教のお話しをしている記事ではないからです。
 
 
図式:1049
 
 
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象徴「巨人」と世界の要素としての時間 [理性の芸術]

以前、浜離宮を文化的資産ととらえ、
新橋日本テレビの広場でガラス玉遊戯をし、
「巨人」の象徴を得、
「各地に偉人が立つこと」との特性を見た。

今日、日本橋からの帰り、
電車を間違えて、いま、新橋にいる。
せっかくなので、図式の点検に、
日本テレビの広場に来た。

巨人が各地に立つ偉人に見られるとは、
人に可能な「事象の現れ」を担う時間が、
概念において扱われるとき、
現象もそれに肯定的であること。

つまり、時間自体がイベントであり、
しかも、操作可能なイベントであることが、
求められる。

そのイベントから得られる○○が展開をうながす。

これに肯定的な一つの要素には、
時間は人において、
概念と変化とを現す「世界の要素」として再定義されていて、
しかも、この定義はまだ破綻していない、
ということだ。

これ以上は事業に関わることになるので、
また、正規の図式を通したいので、
今回はここまで。


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希望に心をつなぎとめる [理性の芸術]

tokyowan.gif

【テーマ】
「アイデアをメモにとることで、
 希望に心をつなぎとめよう。」
 
 
ガラス玉の読み取り】
苦難において、
自己の人格の普遍性を高めることを求めるとともに、
循環形式を形成しつつ弱い自分の発見も進んでいる。
成就は開始点の発見に観られるだろう。
 
 
【解説】

類推に用いられるのは宗教。
苦難に対し普遍性に自己を一致させて解決を求める。
そして、お守りなどで普遍性と自己の一致を維持し、
活動を発展的に安定させる。

技術面で見ると、
人は苦難にあうと、無意識にも、
英知の普遍性を自己に再現し、
解決策を得ようとするところに、
注目すべき点がある。
自己に英知の普遍性を再現している段階で、
どんなに小さくても良いから、
解決への開始点をメモして、
心身の発展的な安定を維持するのが良い。
そうしないと、
集中力がとぎれた時、英知の普遍性と、
英知の普遍性の媒体である自己への信頼とを見失い、
敗北感を継続させてしまう。

一言で言うと、
「アイデアをメモにとることで、
 希望に心をつなぎとめよう。」
となる。
 
 
【創造の状況】

モノレールから観た東京湾の記憶を呼び起こしながらの、
自室での作業。
作品は、作用と活動の中間形式までは、進めていない。
今回の作品は、次回以降の作品に用い、継続発展させる。
 
 
【ご連絡】

いま、ツイッターにはまっています。

ブログは仕事(仕事用のブログがあります)で使うことが多く、
趣味で使っているソネブロの更新がとても少なくなっています。

ソネブロはノンビリと続けますが、
よろしかったらツイッターでも交流させてください。
ソネブロでのハンドルをツイッターのダイレクトメールで知らせていただけると、
幸いです。

ツイッターのアドレス
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【理性の芸術】作品1042「浜離宮(1)」[ガラス玉遊戯] [理性の芸術]

今年、フィールドワークで興味深い発見のあった、
東京新橋の浜離宮での資料を元に球型遊戯を行ないました。

気に入っている写真がたくさんあるのですが、
一枚を選びました。

hamarikyuu01.jpg

以下が、今日ドラフトした、図式です。
この図式は、ガラス玉遊戯の初級編の球型遊戯によるものです。

球型遊戯
http://www.magicandbeauty.com/g-kugel.html

hamarikyuu01.gif

以下が、図式の一つの読み方になります。

形式としての自然、形式としての精神、が在りながら、
感覚としての自然や、経験としての自然が、図式に現われないのは、
私が観察したところでは、浜離宮が自然を意識の水平線として、
実際に生きている人間のさまざまな意識ないし活動を受け止めて、
対比させたり、同位に扱ったりするのに適した場、と、
とらえられたことが反映されているためです。

図式では、浜離宮を意識の水平線と置ける場合の、
その水平線としての機能は、b1とb2に現われています。
言いかえると、a1とa2における形式が内容を反映したように、
b1とb2における内容が形式を反映するように、
可能性は導き出されていくことになります。
 
 
今回の浜離宮のフィールドワークでの資料は、
私のこれまでの探求に馴染みやすいものが多く、
従って、あらためて文化的資産を調べないうちから、
図式作成はすみやかに進みました。

しかし、馴染みやすい作業をする時には、
注意しなければならないことがあります。

可能性を現わす、という点では、
自分に近しい概念が現出してくる作業の方が、
丹念に自分自身を監視する必要が増すのです。
そうしないと、
慣れ親しんだ可能性の繰り返しの使用になりやすい、
ということです。

繰り返しの使用は、その主題での熟練につながりますが、
作業の多さに比べて、創造性の使用は減っていく、
という状態が現われやすいかと思われます。
 
 
それで、異なったアプローチとして、
以上の浜離宮の図式を、既存の文化的資産に再発見してみます。

自然をパースペクティブにする方法が、
過去の事例ではどうだったかを発見する試みです。
次の写真に見られる構造は、東京にある江戸時代の遺跡に、
よく見られるものです。
これを合目的性(調和)において今回の図式と関係させます。
記事が長くなりますので、どのように関係させたかは、
省略いたします。

hamarikyuu0102.jpg

旧江戸城を利用した皇居にも似た造りが多く見られますね。

機能美に、
美の成立である「現出の起源としての調和」を見い出し、
伝達の二重構成で「現出の起源」を独立させ、
城の造形自体を捨象させ、捨象のうちの虚に権威を現わす、
という性格です。

虚に場を得た権威は、人の活動に関し、
人の尊厳の場をうながし、機会を現わす、
という考察が生まれます。

この観察は、今回の図式に【参考】として載せた、
新橋に関して私が創った「象徴・記号・知的財産」の現象化の、
一つのステップの現われとしてとらえることができるでしょう。
 
 
以下、城についての引用です。

平安末期からは武士団の成長とともに、各地に小規模な山城と、
周囲に土塁や水堀・空堀をめぐらし櫓(やぐら)をもうけた居館が発達し、
とげのある枝を逆立ててむすんで柵(さく)にした逆茂木(さかもぎ)などの
防御設備も進歩した。
南北朝期以降は、とくに山城の構造に機能的な進歩がみられ、
本丸・二の丸・三の丸など郭(くるわ:曲輪)が分化するとともに、
それらをつないで一連の防御施設とするようになった。
郭と空堀・土塁・竪堀・堀切りなどが複雑にくみあわされるようになるのも
このころからである。また山上の山城を戦時の防御用とし、
日常は山下(ふもと)の居館でくらすという、武士団の本拠の機能分化もすすんだ。

(中略)

室町中期~戦国期には、
守護大名・戦国大名の本拠の多くはこのようなかたちである。
山城が純粋な防御施設として発達するにつれて、
櫓の類もつくられるようになった。戦国期には、
居館周辺には城下町もいとなまれるようになるが、
その城下町全体を土塁や水堀でかこんでしまう総郭(そうぐるわ)
あるいは総構(そうがまえ)も発達した。
戦国期の山城跡としては一乗谷朝倉氏遺跡(福井市)が知られる。

(中略)

安土桃山時代になると、山城と居館はひとつに統合され、
平山城や平城がつくられるようになる。
これは織田信長が居城としてきずいた安土城が画期となった。
安土城には壮大な天守閣がつくられたが、
本格的な天守閣はこれが最初で、以後の天守閣の模範となった。
安土城では山頂の天守に信長がすまい、
家臣は石垣でつくった山腹の小郭を住居とした。
また信長のころから、鉄砲をはじめとする火器の発達にともない、
郭の主要な部分は石垣で強化されるようになった。

  -マイクロソフトエンカルタより-
 
 
今朝早朝の毛利庭園のものと、今回の浜離宮のものは、
機能化の図式は使っておらず、また「象徴・記号・知的財産」にも、
あまり開かれていません。
「インターネットで一般に無償で公開するのはここまで」と、
自分なりに線引きをしているためです。

では、また、次回まで。
 
 
※この記事は、理性の芸術であるガラス玉遊戯の作品ですので、
 特定の技術の成立や、利益が生じること、その他を、
 約束するものではありません。
 
 
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【理性の芸術】作品1041「毛利庭園(1)」[ガラス玉遊戯] [理性の芸術]

いろいろと本を読んでいたら、気分が良くなってきて、
何かを創りたくなり、
5月と6月に六本木の毛利庭園でフィールドワークした時の資料を元に、
ガラス玉遊戯をしてみました。

以下が毛利庭園の写真で、私が好きなものの一つです。

mouriteienn01.jpg

以下が、今日、一時間ほどでドラフトした図式になります。
この図式は、ガラス玉遊戯の初級編の球型遊戯によるものです。

球型遊戯
http://www.magicandbeauty.com/g-kugel.html

mouriteienn100718.gif

この図式は、メモ的に素早く記録するために用いたもので、
意味が取りにくいかと思います。

なので、簡単に解説を加えます。

創作に用いた資料は「地図学」と「根(数学)」と「特殊関数」です。
三者の引用は最後に添付します。

合目的性に関して理性を働かせた、今回の図式で、
得られる考察の一つに、以下のものがあります。
それは、

1)任意の法則における合法則性と、
  その合法則性を用いる技術(手段)に関する活動を、
  合目的性に関して等価に扱うなら、
  その技術(手段)の起源として心などを再発見できる可能性。
2)(1)の再発見されるところの心などは、
  (1)の合法則性と合法則性を用いる技術(手段)を、
  等価として扱う想像力の訓練過程として、
  個別のテーマに関わらず連続的に用いること。
3)今回の独自の図式化において、過去、このブログに載せた、
  六本木ヒルズの象徴・記号・知的財産の現われは、
  (1)(2)と調和の関係にある。

今回の記事では、
(1)(2)(3)の考察をさらに具体化することは省略します。

また、私の想像力が詩的に刺激されてますので、
詩を書く場合はコメント欄に載せます。

次回の記事は、浜離宮に関連して創る予定です。

以下、用いた資料から引用です。
 
 
【地図学(Cartography)】

地図学は、地図をつくる科学で、
それを利用することの研究もふくむ学問分野である。
地理情報の収集と、収集した情報の蓄積と管理、処理、編集にくわえて、
地理データを地図という形であらわす表現法までがこの分野にふくまれる。
地図作成に役だつ技術や道具だけでなく、
その地表の地理を熟知している必要があり、
地理学とは不可分の関係にある。

-マイクロソフトエンカルタより-

科学の適用される時空の範囲を、経験の共有について考える時、
地図学が必要となった。博学とは、賢者の意味においては、
新しい知の領域自体を創造で把握していけること。

知と共有世界像と科学と経験共有とで、
多元的な根源より法則性自体を得る。

-地図学に関する私のメモより-
 
 
【特殊関数(Special Functions)】

特殊関数という用語には、正確な意味での数学的な定義はない。
一般にそれは、応用上きわめて使い勝手がよいものという認識が
もたれている関数の総称である。
特殊関数は、理論的研究でも応用的研究でも数理科学の分野で
なくてはならない重要な役割をはたしており、現在もなお、
それ自身が活発に研究されている。

-マイクロソフトエンカルタより-

帰着しうるところが在ることを確かめるのに用いられる関数。

-私のメモより-
 
 
【根(数学)(Root)】
ある数が、もうひとつの数を何回か掛けあわせていって
えられる数に等しいとき、掛けあわせる数をはじめの数の根という。
このとき、かけあわせる回数を根の次数という。
たとえば、2または-2は4の平方根(2乗根)、3または-3は9の平方根、
4または-4は16の平方根。2は8の3乗根(立方根)、-2は-8の3乗根、
3は27の3乗根、-3は-27の3乗根である。
同じように4乗根、5乗根などのようにいう。
2乗根の2、3乗根の3などが次数である。根をあらわすには、
ふつう√の左肩に次数をそえた記号がつかわれるが、
平方根のときだけは、次数を省略するならわしになっている。

-マイクロソフトエンカルタより-

(メモ無し)

-私のメモより-
 
 
あらら。
記事作りをあわせて二時間半もかかってしまいました・・・。
(^^; そろそろ寝よー。あと一時間で夜が明ける・・・。
 
 
毛利庭園や浜離宮、あと皇居半蔵門あたり、日本橋などは、
創作をするのに特に興味を持っているところです。
なので、たびたび作品にする予定です。(^^)
 
 
※この記事は、理性の芸術であるガラス玉遊戯の作品ですので、
 特定の技術の成立や、利益が生じること、その他を、
 約束するものではありません。
 
 
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【理性の芸術】作品1040「音楽形式から」[ガラス玉遊戯] [理性の芸術]

バッハのブランデンブルク協奏曲を聞きながら、ふと、
音楽形式についてガラス玉遊戯をしてみたくなりました。

もちろん、音楽形式を定義しようというのではありません。
ガラス玉遊戯は芸術であり、楽しみであるとともに試みですので。

今回は、二つの図式を並列して行なってみました。
先日の図式法への図式法とは異なり、通常の用法の一つです。

100716-133107.jpg
100716-133410.jpg

二つのガラス玉のグループからの可能性への展開は、
今日は他の話題で記事が長くなりますので、
明日以降の記事に載せるかもしれませんけれども、
今回は省略します。

さて、今回の二つのガラス玉のグループを扱いながら、
「音に消え入る」という発想が浮かんでいました。
この発想までには、「音と伝統」からはじまって、
楽器を扱う人の『今』」から、
「生じていない音を『太古から未来への時間』のなかで現わす」とした時、
「その音を発した後に『消え入り』ながらも『在り続ける自分』」とが、
演奏者にも観客にも、共に有り得そうな印象がありました。

「陰陽」という、日本人にもなじみのある概念を用いるなら、
「形式から生じた陰においては、形式が消滅しても形式が生まれ得る」、
と言いなおすことができるかもしれません。
「陰に在る形式から生じる新たな音」という考え方です。

調べてみると、この発想ないし考え方が、
現象ないし事象として発見されうることが分かります。
共通項を観察してみてください。
 
 
音楽形式 おんがくけいしき

秩序づけられた音楽諸要素の配置。
音楽は時間の経過の中にのみ姿をあらわすので、
音楽形式も時間の枠の中で把握される。
音楽形式にみられるもっとも基本的な原理は、反復と対照である。
どれほど単純な作品にも、この2原理をみいだすことができる。
たとえば、「メリーさんの羊」は2つの部分にわかれ、
後半部分は前半部分とまったく同じ繰り返しではじまるが、
それにつづく小節はちがった旋律(対照的な旋律)になる。

  -マイクロソフトエンカルタより-

以下は特許電子図書館から引用です

【発行国】 日本国特許庁(JP)
【公報種別】 公開特許公報(A)
【公開番号】 特許公開2005-37867
【公開日】 平成17年2月10日(2005.2.10)
【発明の名称】 記号化した対語の羅列化により、宇宙論、生命誕生、
        人類誕生、文明開化を理論化する方法
【国際特許分類第7版】
G09C 5/00
【FI】
G09C 5/00
【審査請求】 有
【請求項の数】 1
【出願形態】 書面
【公開請求】
【全頁数】 27
【出願番号】 特許出願2003-363862
【出願日】 平成15年9月17日(2003.9.17)
【出願人】
【識別番号】 502070141
【氏名又は名称】 岡本 幸裕

【課題】 宇宙論、生命誕生、人類誕生、文明開化の各思想を、
     記号等を用いてコンパクトに理論化を可能とする。
【解決手段】 記号化した対語だけを用い、宇宙論、生命誕生、
     人類誕生、文明開化の各思想を基に、自然科学、
     社会科学、人文科学の定説で根拠付け、
     その記号化した対語を羅列する事で、限定的に、
     そしてコンパクトに理論化を可能とする。

【発明の詳細な説明】 ※抜粋です
【背景技術】
【0002】
宇宙論、生命誕生、人類誕生、文明開化の各思想は、古来より様々な形で論じられ、
実証されてきている。だが、その宇宙論、生命誕生、人類誕生、文明開化の各思想に、
何らかの一連の法則があるとは論じられていても、
記号を用いて体系的に理論として証明する術がなかった。
【0004】
しかし、記号化した対語だけを用い、実証された自然法則等で根拠付け、
その記号化した対語を羅列化する事で、今まで不可能であった宇宙論、生命誕生、
人類誕生、文明開化の各思想を、コンパクトに、
そして限定的に理論化することが可能である。そして、それはまたある意味に置いて、
各思想の内容理解を簡潔にし、一般人にも普段馴染みのある対語だけを用いた為に、
難解な各思想に容易に親しめるという特徴をも、それは同時に持つものである。
 
 
ある発想が、既存の技術ないし英知に発見されることは、
その発想をなしえる人の思考力の普遍性を示すものであり、
その思考力をもってしての発想が現象化されうる道を得られる場合には、
既存の技術ないし英知、ひいては文化的資産を継承する準備がある、
ということをも示すのでしょう。

キーワードは「その発想はどのように現象化されえますか?」ですね。
ガラス玉遊戯の初級編である球型遊戯の説明でもこの質問を加えました。
 
 
余談になりますが、以前、北海道大学に研究員として来ていたドイツ人と、
話をすることがよくありました。物理学を専攻していた人でした。

彼は、彼の研究について、私によく、以下の質問していました。
「光子(フォトン)は、ある時、時間をへだてず他の場所に移動する。
 その時、50%の確率でスピンが反転する。なぜだ?」

私は、「宇宙の始まりであったとされるビッグバンのわずか後に、
 多くの原子が誕生した。
 宇宙の始まりは、現在も常に在ると考えるとどうだろう?
 私たちが関与している現象は、継続していると共に始まっている、
 という考え方だ。
 すると、光子(フォトン)の瞬間移動とスピンの変化もまた、
 継続していると共に始まっている宇宙の出来事ととらえられる。
 また、宇宙の始まりを、いまも、
 目の前の現象に観察することができることの現われ、
 とする考え方でもある。」と答えました。

彼は大変満足そうで、その後、二人でビアガーデンに行きました。

もちろん、私の発想は、物理学者としてではなく、
一芸術家のものであると、あらかじめ告げた上でのことです。

今回の創作と調べ物をしながら、ふと、思い出したのです。
 
 
さらに考察ですけれども。
今回引用した特許出願のものの内容がガラス玉遊戯の説明に
なるのではないか、と、しばし考えたのですが、
現象化を盛り込みにくい構造になっていることと、
可能性に関する「ある特質」が含まれていません。

もっとも、
この発明はガラス玉遊戯の方法を求めてのものではなく、
この発明の求めるところについては、
大変な研究を重ねておられるようです。

審査請求をしているのに特許番号が付されていないことから、
特許は認められなかったようですね。

それでも、立派な研究であると感じます。
 
 
ずいぶん記事が長くなりましたので、今日は、ここまでにします。(^^)
 
 
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【理性の芸術】作品1038「職人歌合」[ガラス玉遊戯] [理性の芸術]

普段、あまり意識しないことですが、
全ての物事は変化の影響を受けながら存在しています。

変化の影響にある物事は、常に意味を新しくしている、
という言い方もできるでしょう。

私たちは物事を扱うことができます。不完全であっても。
ならば私たちは物事を通して変化を操作しているというとらえ方もできます。
無自覚には、ですが。

私たちは奇跡を求めることがあります。
しかし、自分たちがおこなっていることが小さな奇跡を含んでいることには、
気づかないままでありがちのようですね。

1038.gif
a1:遊びの形式 b1:現象で自らを省みる c1:自由の実践

[解説]
職人歌合(しょくにんうたあわせ)というのは、鎌倉・室町時代からある、
職人の生活について面白く歌いあうもののようです。
もっとも、職人をおもちゃにするということではなく、歌う、
つまり俳諧(はいかい)自体がおどけや戯れの方法であったとのことです。
(参考:広辞苑第六版・角川新類語辞典・旺文社全訳古語辞典)
「職人」という言葉あるいは概念は、継続される信頼の象徴でもありますが、
職人の姿勢の素晴らしさを受け取る準備は、理屈によるのではなく、
美的な感動を受け取る心の柔軟さにあり、美的なことを理解するには、
柔軟な在り方をしておくと良いですね、となりそうです。
(ここで言う「美的」とは「調和による体系」に関する判断のことです。)

今回の図式作成では、次のようにガラス玉で遊びました。
100506-163221.jpg
 
 
う゛~んんん。。。
今日は更新しないつもりだったのですけど、つい、なんというか、こう・・・
勢い
で。。。

あ゛あ゛あ゛ 他のことをする時間が無くなってしまった。。。(><)「く」
 
 
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【理性の芸術】作品1037「遺伝」[ガラス玉遊戯] [理性の芸術]

今回は、インターネット電子辞書アクセスする前に、
ガラス玉をクルクルまわして、私が記憶している物事に触れてから、
図式を展開しました。

100429-161801.jpg
写真イメージです。写真を撮り忘れてしまったのです。

1037.gif
a1:法則を使役する b1:相互作用 c1:補助である経験

[解説]
a1の「使役」は人を使うというのが本来の意味ですが、
ここでは遺伝と環境の相互作用においては、
遺伝される内容が遺伝という法則を利用しているように観察される、
という意味です。
遺伝される内容と環境ないし現象との相互作用を主に観ると、
個体ないし個人の経験は「補助」の役割として考えると良いとなり、
経験は活かすものであり、とらわれるものではない、との、
啓示的発想が思い浮かんできます。
 
 
今回の図式展開は、今日、私の余暇の時間が少なかったため、
事象の把握で進行をおさえています。(所要時間10分程度です)
しかしながら、これまで展開した9つの球型遊戯の図式は、
それぞれ相互作用させることで新しい可能性を発見することもできるわけですから、
今回のような「メモ代わりの図式」にも「全体を用いることの利益」が現われるわけです。

「全体の把握」と「1%の積み重ね」は、ともに大切だと思います。
今回の図式は、その1037回目、ということです。
 
 
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【理性の芸術】作品1036「花束」[球型遊戯] [理性の芸術]

日本人女性歌手のSuperflyの曲を聴いていて、
花束」という言葉が印象に残ったので、
図式に展開しました。

1036.gif
a1:拡大する意識 b1:特殊な自然(花束) c1:普遍的人格
c2:イベントの普遍化

「解説」
a1の拡大する意識とは、人間の自発的な意識ではなく、
普遍的な自然に導かれて発展する意識の全体のことです。
b1の「特殊な自然」というのも独自の視点ですね。
通常、自然は普遍的な性質の全体として考えられるものですから。
c2のイベントの普遍化で、a1の発展する意識に応じ、
b1の特殊な自然はそれぞれ接続される予感があるもの、
とされています。
 
 
図式でのガラス玉の色はどのように決めているか、
ですが、実際のガラス玉を用いていろいろな主題を用い、
発想をクルクル回してからメモなどに記録する過程の、
なりゆきで決まっています。
主題をガラス玉で用いるのは小説で提示された方法です。

100429-161801.jpg
100502-153938.jpg
 
 
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【理性の芸術】作品1035「異常心理学」[球型遊戯] [理性の芸術]

『異常心理学』
精神障害者の病的心理、夢、催眠状態、群集心理などの
いわゆる例外状態の心理、あるいは、
不安に対する心理的適応規制などを対象とする。
-ブリタニカ百科事典より-

この記事では、異常心理学が何であるか、ではなく、
上述の引用にある事象の構造を用いて観察される、
調和の能力による文化の判断を試みます。

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a1:原因の能力の安定 b1:環境の自発的な誤前提
b2:実証に用いられる事実の追尾 c1:遊離した主観的環境
d1:暗黙に感じる自我の危機

[解説1]
生きている現象の世界について、何らかの原因を想定できることが、
「変化のなかでも生きていける」という安心を得る手段である人間にとって、
想定できないほど大きな変化が生じると危機意識が生じることが観察される。
対応するために、さまざまな理由づけをし、その理由を満足する事実を追う。
しかし、言葉にならない不安は増していく。

[解説2]
今回の図式の解説1における「変化」は人がもたらしたものである。
図式の各要素を、危機に対するものから、発展に対するものに変更してみる。
a1:原因の安定使用 b1:環境の発展的仮定 b2:実証のための事実探査
c1:新しい環境に入っていく d1:安定した原因における自我
つまり、文化の構造にではなく、文化を成す創造の構造を信頼すると、
変化にともなう不安を幻影と位置づけられ、平安が得られると、
図式ではされている。

[解説3]
今回の記事は、理性の芸術による合目的性の可能性による判断であり、
異常心理学そのものの定義や解決を目指すものではない。
しかしながら、理性能力で創造した文化は資産であり活用するとしながら、
同時に、既存の文化を成し遂げてきた人間的基盤についても、
意識を開く方法を得ておくことで、文化の構造による精神の錯綜を回避する、
という考え方には、一定の価値があることが、考察される。
 
 
文化を芸術として、あるいは遊戯する理性において扱う、
ガラス玉遊戯を得ることができたのは、少なくとも私にとっては、
幸いなことでした。
ガラス玉遊戯の初級編である球型遊戯については、
今後もブログなどで、無償でご紹介する予定です。
 
 
-球型遊戯-
http://www.magicandbeauty.com/g-kugel.html
 
 
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【まだ思考されていない物事に応じる過程】

人が思考しうる物事のなかには、
まだ思考されていない物事があります。

もし全てを思考し終えている存在者があるとすれば、
神のみです。

芸術も、
思考されうる未知の物事に応じる方法の一つです。

技芸は、
美または調和のモデルを用いて自らの活動を体系的に把握する、
姿勢であり、過程です。

2012年3月30日
響 西庄 庸勝

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