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日本・中国・西洋から探究した技芸の要

調和への技法で訓練された精神と、世界の変化との、差異をとらえる。
様々な物事の未知の相互関係や発展性を見い出すため、自らを柔弱におく。
目指す物事が達成されると無条件に信じ、可能の根拠を積み上げていく。

もうすこし詳しい説明はこちら
http://glasperlenspiel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-26

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このブログの終了のお知らせ [記録]

さまざまな事情があり、
私のこのブログは4月のなかばから後半にかけて、
閉鎖・終了することになりました。

私の活動に興味をお持ちの方は、
私のHPをブックマークしておいてください。
http://glass-bead-game.potential-performers.com/index.html

ツイッターのアカウントは以下です。
@kyoGBGwizard

まる7年の間に、
このブログを訪問くださった方々に感謝しております。

同時に、
新たな活動の開始への決意をかためています。

心より感謝の気持ちをこめて申し上げます。
ありがとうございました。
 
 
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“時代の老年”と“擬人化した仮説” [記録]

中高年が開いた道に、
若い人がエネルギーを注ぎこむ時に、時代が変化する。

そのいずれかが失われると、
ヘッセの言葉を借りれば、「時代の老年」が始まる。

いま、世界の新しい芽生えは何であるか?
インターネットで水平に結ばれた世界に希望はあるか?
多くの人々が試みている。

一つの擬人化した仮説を立ててみる。

現代までに蓄積された文化的資産が中高年であり、
それを用いる私達全員が若者である、と。

そうした新たな文化的姿勢が可能であるなら、
この擬人化した仮説には意味があるだろう。


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生まれたままの自分が、人生の痛みを上回っていく、勝利感。 [記録]

禁酒。47日中43日間の。

ベッドに横になる。
禁断症状を痛みととらえながら、安静状態を深める。
痛みがやわらいでいく。

痛みがやわらいだ心身の余白に、
リラックスした自分がいるのを感じる。

痛みの無い、リラックスした自分に、
幼いころの自分を感じた日があった。
私にとって、大きな気づきだった。

痛みを感じない自分に心のフォーカスを合わせる。

引いていく痛みに対して、勝利感を覚える。
生まれたままの自分が、人生の痛みを上回っていく、
勝利感。

いままでで最長の禁酒期間は二年間だった。
痛む神経を紛らわせたくなることがある。
今回も、途中、計四日間、飲酒した。

いまは、禁酒開始日からの総日数のなか、
何日間禁酒したか、という数え方をしている。
「酒はたまに飲む」という禁酒のなか、

この、様々な応用を想い、楽しんでいる。


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恩師井手賁夫と進化論、ヘッセとニーチェとガラス玉遊戯と、そして私は想う。 [記録]

22歳の時に立てて、恩師井手賁夫にも確認してもらった、
50年計画の研究の部分と実践技法の部分が終了していたことに、
最近、気づいた。

いま47歳。つまり、50年の計画の根幹の部分を、
その半分の25年で終了させた結果となった。

新しい計画を立てる必要がある。計画なしに活動力を発揮するのは、
足元を見ながら自転車の速度を上げるのに似て、とても危険だ。

速度が大きいほど、力が大きいほど、その危険度も比例して大きくなる。
バランスはパースペクティブからくる。
自律神経を失調した今の静養の期間中に地平線を見つけよう。

ガラス玉遊戯と世界精神が明瞭な時、
人の活動力を、「それはあなたの勝利だ」と言える、そのパースペクティブは、
いったいどのようなものだろう?
知りたい。見たい。必要だ。

恩師井手賁夫に私がした最後の質問。
そして、初めて井手が何も答えなかった質問。

「ヘッセが進化論者で、
 人間が人間を超克する思想を持つニーチェを愛していて、
 全ての文化的資産を用いる芸術であるガラス玉遊戯を得たなら、
 人類はどのように変化するでしょう?」

札幌駅の近くを歩いていた時、北海道大学のバスが通った。
井手が乗っていることに私は気づいた。井手も私に気づいた。
あの時の井手ほど、井手は恐ろしく鋭い目で私を見たことはなかった。
それが私が井手に会った最後だった。

井手はその数か月後、京都の学会に出席し、
札幌に帰った十日後に他界した。

私の経験では、
合目的性の能力を全開にして行なう芸術であるガラス玉遊戯は、
脳全体を用いる経験を深めさせる。

もちろん、多くの学習と知見を重ねた人も全脳的な活動をする。

違いは一つ。
合法則性による全脳活動は「特定の目的」に向けられる。
合目的性による全脳活動は「既知未知の可能な全ての目的」に向かう。

では、この「既知未知の可能な目的」への全脳活動を深めるとどうなるか?

逆説的な経験が私にはあった。
「自分の一番深いところにある一回性、私だから持つ能力が実在する実感、
 それを用いやすくなっていくこと」。
しかしこれは、まだ「科学的に証明」できていない。

であるので、いままだ、この私の経験を前面に押し出して主張していない。
一方、内外の精神と事象の世界精神は客観的に説明できる。

一回性と世界精神との関係を明瞭に主張できる
「状況・状態」はいかに獲得されうるか?
獲得されれば、
「全ての、一人一人の人間が奇跡である理由」を現出できる。

最初に科学的に、
この「状況・状態」の検証をしうるものとして予見されるのは、
社会心理学の技法の応用かもしれないな・・・。
社会心理学では、心理学による予見を、
統計の技法で、実験を通して、検証するので。

原因を求めるのと同様、目的を発見するのも、
理性の能力の特徴。
全方位の既知未知の目的について観取する能力が発達すれば、
その「理性の能力の本人」、
つまり「自分自身と自分の一回性」とが鋭く現れることについては、
論理学で「説明を厚くしていく」ことは、
もちろん出来るだろう。


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「廃人の酒」と「もはや信じるものを失った人が何をなしうるか」と [記録]

救われない気持ちをどうしたら良いのだろうと思う。
それでも、死ぬまでは生きていなければならない。

そして、生きているなら、生きていることに、意味を与えていきたい。
今日は、もう、それ以上のことを考えられないし、そんな日はあるもの。

酒を控えるべきだけど、今日は自分に厳しさを向けたくない。

酒が美味いよ。

小説ガラス玉遊戯における最も重要なテーマは、
「人間がその精神を信頼する基準を失った時に何をなしうるか?」。

そこに、
ヘッセが第一次世界大戦の悲劇以来の「精神と自然との間の振動」という
インスピレーションが視点の一つとなり、
「音楽と瞑想」の奇跡の媒介としてガラス玉遊戯のコンセプトが生まれた。

精神と自然との間の振動という視点の活用形として、
音楽と数学との形式的類似性が、
また、自然と人との間の霊的な直観として瞑想が、
そして瞑想と音楽との親和性が、
それぞれコンセプトの骨格をなした。

しかし小説の主題は「もはや信じるものを失った人が何をなしうるか」と。

私はいま必要な経験をしている。

「酔っぱらっていればそれでいいんだよ」と思って飲める酒は、
変に旨いな☆

(≧∇≦)♪ うはは

あれだな、
「酔ってりゃそれでいいんだよ」と飲む酒は、「酒飲みの酒」で、
「とになく何かを成し遂げなければならない」と自分の神経を麻痺させながら飲む酒は、「廃人の酒」だな。

つまり、ここ最近まで、私は酒を飲みながら「廃人として」生きていたんだ・・・。
・・・愚かすぎる・・・。

人を家畜として扱おうとする人のいる世界で、廃人として生きるなんて、

トんでるよな。トびすぎてる・・・。

・・・ニーチェの本は捨ててしまったな・・・いま読んだら面白そうなのに・・・。


上品に、ではなく、たまに爆発してやろうかな?
すっごく控え目に行動しているんだよな、いまの私。
 
 
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世界からの挨拶を受け取りながら。 [記録]

アクセス解析にEUとアメリカ合衆国の記録。

さらっと書くと何でもないことのようだけれども、
EUのドメイン名は、形式上、EUの各国・各国民の上位であるので、
EUの公務以外で用いられることは考えにくく、

アメリカ合衆国はインターネット発祥の地であるので、
国の識別子(例えば .jpにあたる .usa)が無いので、
記録に残るのは、一般の市民・国民とは考えにくく。

ロシア連邦とウクライナからはほぼ毎日のように。
文学・数学から、原子力関係まで、あらゆる関係に登録されている。
広範で率直なあたりかた。

高度な機関がその存在を示しながらアクセス。

120808-212513.jpg
※神田明神で買った龍のお守り。

今後の展開について、これ以上、情報を公開することはできないけど、
では、なぜここまでなら公開して良いかと判断したかと言うと、

ガラス玉遊戯の第一図式法については世界に公開済みで、
私の今後の活動も世界に対してオープンで行こうと発言を続けていること。

そして、国が発展するほど慣習が強くなるのが通常の人間社会で、他方、
意欲ある人々をフラットにつなぐことで新しいパラダイムを現わしやすいインターネット。

ある国ないし文化では普通のことが、他国に価値や意味が翻訳されることで、
常に意識が改革されていく現代。

私がこのフィールド(場)にアプローチしていることに「私達は気づいていますよ」との、
EU・アメリカ合衆国・ロシア連邦からのアクセスと感じる、私の直観を信頼するなら。

ここに理念(超越的概念:愛・自由・永遠の精神など)を認めることで、
おそらく人は、私達は、先に進むことができる。
 
 
不安定な睡眠。不安定な腸の調子。
かつて経験した精神的な不調の時期の一年ほど前の状態を思い出す。

言い換えると、本当の不調に至る一年ほど前に、
緊張がある程度解けたために、不調の信号を受け止め、
応える余地が出来たとも感じられる。
(緊張状態だと、心身からの不調の信号は意識に拒絶されるし、
 心身への更なる「引き締め」が起こるというのが、私の経験。)

方法はそろっている。理解してくれる人々も多いようだ。
(人間にとって一番大きなストレスは、批判への不安と恐怖。
 社会性が活動の根幹の一部である人間にとって、
 批判への恐怖は、死への恐怖を上回ることがある、と言われる。)
 
 
世界からの挨拶を受け取りながら。
 
 
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WIFM (What is it for me?) [記録]

「それは私にとって何ですか?」
という質問に答えられない販売は成立しない。

言い換えると、市場を成立させるコア(核)はWIFM。

(WIFMという言葉はニック・バレンタインという、
 アメリカのセールスパーソンから。)

ガラス玉遊戯のWIFMを見つけるのは、
最高に大変だった。

ガラス玉遊戯自体の簡略な説明はできる。
「理性領域の芸術」「可能性の芸術」。

けれども、
「それがあったなら、私にとって何が『より良く』なりますか?」
について、示す方法は、
かつてのガラス玉遊戯同様、存在しなかった。

それはともあれ、

WIFM

WIFMを新たに示すことが出来た時、
新たに市場が開かれる。
 
 
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「進みながら」「ゲーム理論」「アナログ・ハイテク」 [記録]

比喩として。最初の航海を終えて、最初の港につくことができた。
この三年間に見い出した多くのものが、エッセンスに集約されていき、
まるで消えていくように見える。

「無形」に関する気づきがあったから。
いくつか残すのは、「思い出すため」だ。

昨日の囚人のジレンマのツイート。
最大のメリットが期待されるリスクのある選択は「パレート効率的な選択」と呼ばれる。
他の変化がどのようになっても、自分の選択のリスクが最小になる選択、
パレート効率的でない選択を人は好む。
他に、最大の損失を最小にする人の傾向に、ミニ・マックスがある。

損失を最小にする選択が、新しく何かを始める利益の選択より、
優先される傾向、主観的にも分かる。
新しい利益に向かう間、自我や自己信頼を支える根拠を感じられずに、
試みることになるので。
自我や自己信頼を感じられなくなっていく方向へと挑戦していくことは、
訓練していない人間には、難しい。

大学を卒業して、ご自宅で勉強させていただいた方は、
ドイツから勲章をもらっていた恩師井手賁夫の他、
本社だけで千人が働いていた企業の創業者の一人であり顧問であった水内慎一氏。

戦争で部隊を指揮していた水内先生は「まわりの状況が不明で、
しかも危険である時の、一番安全な選択は前進すること」と、おっしゃっておられた。
いまは正しいと思う。

なぜなら、「その選択をする人は他に小数であるから」。
また、前進することは、本来のミッションのエッセンスの具現であるから。
他、「迷いは変化をパニックに変えてしまう」という
格律(主観的妥当性)が思い出される。

困難をともなう、精神的な探究は、歴史的にも一人で行われることが多かった。
いまは一人ではなくなってきている。
私の、あるいは私達の分野で、“(インターネットの)海”を経験していくことは、
いずれ社会への貢献の広がりになるだろうと、確からしく感じている。

水内先生の「周囲が不明で危険な時、最も安全な選択は前進すること」は、
ミニ・マックスの選択ではないな、と気づく。
これは、「ゲームを俯瞰した場合の、パレート効率的な選択」だ。

ゲーム理論は数学の一分野。
そして、「損得の折り合う点『ナッシュ均衡』」や、
「メリットを見い出す『パレート効率』」や、
「変化のなかで一時的な損失を小さくする『ミニ・マックス』」など、
日本の政治家や官僚が国民に伝えて、伝達力と客観性が両立する、
様々な考え方を与えてくれていると感じる。

ゲーム理論を創始したフォン・ノイマンはIQ300だったとも言われている。
実際には、IQは200以下までしか確かめることができない。
「ノイマン」、そう、いま私達が使っている「ノイマン型コンピューター」を
発明した人でもある。

ノイマン型コンピューターは、
大陸間弾道弾の軌道計算のため、
発明にアメリカの国家予算が投じられた。
ノーベル賞には数学賞が無いこともあり、
フォン・ノイマンはノーベル賞を得ていない。

1969年のアポロ11号による月面着陸に用いられたコンピューターは、
1980年代のPCの2倍程度のスペック。
しかし、「専用型」と「汎用型」の差は、
1980年代の関数電卓とPCのマシン・スペックの違いと、
現代のPCとガラパゴス携帯の差を想像してみると、イメージしやすい。

目標を定め、それぞれの分野の専門家が、
あらかじめ計算しつくしたデータと法則性を出しつくし、
そこに最適に設計されたコンピューターを、汎用機と比較するのは、
そもそも比較に馴染まないレベルですらある。
専門性は分野の限局であるけど、
それ以前に広く検証され尽くされている場合は。

バラモン教には、宇宙観やヨガなどの実践性の深さと広さがあった。
ゴータマ・シッダールタは、それについて、思考を整理する姿勢や、
因果関係など時間的空間的広がりを取り込んだ世界観を用意し、
生きている人々の誰もが取り組めるよう伝えたという、
当時の「アナログ・ハイテク」だったと思う。

この、
「生きている人々の誰もが取り組める」という
「アナログ・ハイテク」をおこなった人は、
中国にもおられた。

孔子である。

天命を受けた皇帝以外の、一般の人々も、
「皇帝と同様に君子であれる」ことを、
深く・広く・鋭い精神と思考の取り組みによって、
明らかにしていった。
私学の範囲。

十分な資料を得ていないけれども。
真理や哲理への取り組みが人々の心の目を開かせると、
その心の目が開くことが、字を読めない人や、
生まれながらの不幸によって堕ちていった人々に、
いかに伝わるかについて試みる時に、
バラモン教からヒンディー教への流れ、儒教の道教への和解の過程で、
再び、学びなおしたこと、再発見したこと、
互いに進めあったことがあったのでは、と、私の深いところで感じる。

「心の目が開かれた。
しかし、生まれながらの不遇や不幸から、いまはそうあれない人々がいる」、
そう深く感じた人々がいた時、その人は何を行なうだろうか、
ということから。
 
 
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今日は、なぜか、私の写真に初めて写った霊的な存在のことを思いだし。 [記録]

ここ数日、霊的な経験がある時の疲労感が続き。

しかしながら、人生に肯定的なインスピレーションが続き。

今日は、なぜか、
私の写真に初めて写った霊的な存在のことを思い出していた。

この写真の後、霊的な経験が多くなった。

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曾祖父。

私が中学生の時に、当時の写真の趣味で撮った、お墓の。
フィルムを使う光学式の写真機の時代で、ネガもある。

白い文字の後ろに、くっきりと写っている。

この写真をブログにupするのはなー、と思っていたけど、
なぜか、今日は「何も問題が無い」と感じられて。

私を守ってくれていると感じていた時期が長かった。

「見守っててくれてありがとう」と思いながら。

仏へ。
 
 
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まわってる方に合わせて創る [記録]

完全に仕事がまわり始めて。

いままでも、
「世界の人々から問い合わせ→仕事がまわる方法の探究」
と、取り組んできたのですが、

いまは、
「仕事がまわる物事の発見→人々が喜ぶ方法の探究」
と、いわば逆になりました。

これからは「まわっている方に合わせて創る」わけです。

気分が良くなったので、近くの天祖神社(神明神社)へ。

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神明神社は、去年、
大宮氷川神社で心を打つおみくじが出ましたので、
「近くにあればな」と思っていたのですが、
実はあったのです。

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昨年からの大吉八枚。

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神社を出て、途中、心が明るくなることが一件起こりました。

気分が良くなり、もう少し散歩がてらと、近くのマクドナルドまで。

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ホットマサラバーガーセット。

子供連れのお母さんの多い店のためか、
来ている女性の表情がなごやかに見えます。
 
 
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【まだ思考されていない物事に応じる過程】

人が思考しうる物事のなかには、
まだ思考されていない物事があります。

もし全てを思考し終えている存在者があるとすれば、
神のみです。

芸術も、
思考されうる未知の物事に応じる方法の一つです。

技芸は、
美または調和のモデルを用いて自らの活動を体系的に把握する、
姿勢であり、過程です。

2012年3月30日
響 西庄 庸勝

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