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日本・中国・西洋から探究した技芸の要

調和への技法で訓練された精神と、世界の変化との、差異をとらえる。
様々な物事の未知の相互関係や発展性を見い出すため、自らを柔弱におく。
目指す物事が達成されると無条件に信じ、可能の根拠を積み上げていく。

もうすこし詳しい説明はこちら
http://glasperlenspiel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-26

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「廃人の酒」と「もはや信じるものを失った人が何をなしうるか」と [記録]

救われない気持ちをどうしたら良いのだろうと思う。
それでも、死ぬまでは生きていなければならない。

そして、生きているなら、生きていることに、意味を与えていきたい。
今日は、もう、それ以上のことを考えられないし、そんな日はあるもの。

酒を控えるべきだけど、今日は自分に厳しさを向けたくない。

酒が美味いよ。

小説ガラス玉遊戯における最も重要なテーマは、
「人間がその精神を信頼する基準を失った時に何をなしうるか?」。

そこに、
ヘッセが第一次世界大戦の悲劇以来の「精神と自然との間の振動」という
インスピレーションが視点の一つとなり、
音楽と瞑想」の奇跡の媒介としてガラス玉遊戯のコンセプトが生まれた。

精神と自然との間の振動という視点の活用形として、
音楽と数学との形式的類似性が、
また、自然と人との間の霊的な直観として瞑想が、
そして瞑想と音楽との親和性が、
それぞれコンセプトの骨格をなした。

しかし小説の主題は「もはや信じるものを失った人が何をなしうるか」と。

私はいま必要な経験をしている。

「酔っぱらっていればそれでいいんだよ」と思って飲める酒は、
変に旨いな☆

(≧∇≦)♪ うはは

あれだな、
「酔ってりゃそれでいいんだよ」と飲む酒は、「酒飲みの酒」で、
「とになく何かを成し遂げなければならない」と自分の神経を麻痺させながら飲む酒は、「廃人の酒」だな。

つまり、ここ最近まで、私は酒を飲みながら「廃人として」生きていたんだ・・・。
・・・愚かすぎる・・・。

人を家畜として扱おうとする人のいる世界で、廃人として生きるなんて、

トんでるよな。トびすぎてる・・・。

・・・ニーチェの本は捨ててしまったな・・・いま読んだら面白そうなのに・・・。


上品に、ではなく、たまに爆発してやろうかな?
すっごく控え目に行動しているんだよな、いまの私。
 
 
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【まだ思考されていない物事に応じる過程】

人が思考しうる物事のなかには、
まだ思考されていない物事があります。

もし全てを思考し終えている存在者があるとすれば、
神のみです。

芸術も、
思考されうる未知の物事に応じる方法の一つです。

技芸は、
美または調和のモデルを用いて自らの活動を体系的に把握する、
姿勢であり、過程です。

2012年3月30日
響 西庄 庸勝

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