日本・中国・西洋から探究した技芸の要
兆 調和への技法で訓練された精神と、世界の変化との、差異をとらえる。
水 様々な物事の未知の相互関係や発展性を見い出すため、自らを柔弱におく。
果 目指す物事が達成されると無条件に信じ、可能の根拠を積み上げていく。
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「素の自分」と「未来への期待」とが呼応して [つれづれ/モブログ]
私が通っていた高校は、
ワルというか不良というか“ひたむきな”というか、
そういう学生が多かったところで、
でも、学校内から病院に救急車で運ばれた学生はわずかで、
その後、間違ってた方にはキチッと、指導などがあった。
いろいろあったけど。
彼らには、やりきれない思いがあり、その思いに、
「何か自分が確かめていける手がかりがあるはずだ」と、
未熟な心ながらに「自分の強さ」を確かめるために、
「なぐりあうこと」を試みていたように、
私はいま、思い出している。
意味しているのは「むやみに相手を傷つけること」ではないので、
「高校を卒業するまでに自分を試みるこのこと(不良)も卒業しよう」という、
学歴とは異なった意味での「卒業の概念」があった。

私個人の感覚として、いまと同じくらい幸せだった頃(ころ)はいつだろう?
と記憶をたどってみると、高校のころを思い出した。
ギリギリの感覚でのこと。
本来の意味で、幸運で、豊かで、希望があったのは、
曾祖父母に助けられた四歳ころまでと、恩師井手賁夫に助けられた頃と、
“いま”となのだと思う。
精神的にまだ未熟なところがあった。
高校での、彼らのは、いじめとか虐待ではなかった。
「素の自分」と「未来への期待」とが、呼応してほしい、と。
頼りになるものなど、ごくわずかで。
でも、人は大きくて、人は小さくて。
その姿を見ようと、私はいま、試みている。
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人が思考しうる物事のなかには、
まだ思考されていない物事があります。
もし全てを思考し終えている存在者があるとすれば、
神のみです。
芸術も、
思考されうる未知の物事に応じる方法の一つです。
技芸は、
美または調和のモデルを用いて自らの活動を体系的に把握する、
姿勢であり、過程です。
2012年3月30日
響 西庄 庸勝
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なんかね、体の中のエネルギーと、
発散の仕方がね、バランス悪い時期ってあるんですよね。
心と体の成長は、きっと一緒じゃぁないですものね^^;
by Rchoose19 (2012-02-23 08:08)
>Rchoose19さん
コメントありがとうございます。
その不安定さに向き合ってくれる大人がいるかという視点がありますが、
もう一方で、信頼できる世の中かという観点もありそうですね。
不安定な時は、自分でも不安定だと分かっていると思うのですが、
世の中が信頼できるなら、きっと解決できると自問自答しやすくなるかな、
と感じます。
by 響(きょう) (2012-02-24 17:32)